言語がその人の思考を決定させるのか?

はじめに

言語と思考の関係についての議論は長年続けられてきましたが、その中心にあるのが「サピア・ウォーフ仮説」です。(別名で言語決定論と呼ばれることもあります)

この仮説では、異なる言語を話す人々の思考がどの程度普遍的か、あるいは多様であるかを問うもので、言語がどのように思考に影響を与えるかを探る枠組みです。しかし、これまでの議論は明確な結論に至っていません。賛成派の数が反対派の数かで言ったら(少なくともボクの周りでは)反対派が多い気がします。

この記事では、この仮説を再考し、より具体的な視点から検討することが必要だという視座に立って、考察していきます。はじめていきましょう!

サピア・ウォーフ仮説の背景

サピア・ウォーフ仮説は、言語が思考にどのように影響を与えるかを説明するための理論として知られています。この仮説は、言語間および文化間での思考の普遍性または多様性に関する議論の中心となってきました。

言語が異なると、思考の仕方も異なるのか、それとも普遍的な思考パターンが存在するのか。この議論は長く続けられてきましたが、まだ明確な結論は出ていません。その理由の一つは、「思考」という概念があまりにも漠然としていること、そしてサピア・ウォーフ仮説の解釈が研究者によって異なること、この2点が問題点として挙げられています。

個人的な主張

私自身の考えを述べると、思考が普遍的か言語に依存するかを問うのではなく、もっと具体的な問いを立てるべきだと主張したいですね。

つまり、思考がどの認知領域(例えば、空間認知、自然物の分類など)で、かつ、どのレベル(例えば、知覚、記憶、知識表象、オンライン情報処理)で、どの程度言語によって影響を受けるのかを調査することが重要です。

言語は、生得的な言語非依存の認知機能によって制約されつつも、思考の多くを形成しています。それ自体に異論はなく、この観点から、サピア・ウォーフ仮説を再評価するための新しいアプローチが提案されています。

研究レビュー

では、どの認知領域に当てていけば良いのでしょうか。例えば、先行研究では、複数の認知領域に焦点を当てて、これまでの研究をレビューしているものもあります。これらの主張をまとめると以下のようになります。

例えば、英語と日本語のように異なる言語を話す人々が、物の形状や素材に対してどのように注意を向けるかが異なることが示されています。言語が異なることで、認知の仕方がどのように変わるのかを探るための具体的な証拠が提供されています。

英語と日本語のように異なる言語を話す人々の間で、存在論的区分がどのように異なるか、そしてこれが認識にどのような影響を与えるかが検討されています。難しい話ですので、簡単に説明します。

例えば、英語では可算名詞と不可算名詞の区別が明確ですが、日本語ではこのような文法的区別はありません。この違いが、物の形状や素材に対する注意の向け方に影響を与えることが示されています。英語話者は形状に注意を向ける傾向が強く、日本語話者は素材に注意を向ける傾向があることが報告されています。

重要な提案

論文は、認知が普遍的な認知バイアスに制約される一方で、言語や文化によって独自の認知バイアスが形成されると提案しています。この視点から、具体的な認知領域とレベルでの実証的な証拠を検討する必要性が強調されています。

例えば、空間認知や自然物の分類、言語処理などの異なる認知領域で、思考が特定の言語構造に依存するかどうか、また発達的な観点から言語学習が思考にどのような影響を与えるかを調査することが求められています。

結論

本記事では、サピア・ウォーフ仮説を新たな視点から再評価し、従来の二元論的な議論を超えて、より、具体的かつ実証的なアプローチを提案することとしました。言語と認知の関係を深く理解するためには、具体的な認知領域とレベルでの詳細な調査が必要です。このアプローチにより、言語がどのように思考を形成し、影響を与えるかについての新たな洞察が得られることが期待されます。

この記事では、サピア・ウォーフ仮説の再評価に関する最新の研究成果とその意義を読者にわかりやすく伝えることを目指しました。読者の皆様が言語と認知の関係についての理解を深めるきっかけとなれば幸いです。

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