いま、博士後期課程の2学期め。9月に博士課程に入学して、3月に1学期目が終わった。4月から2学期めになる。博士課程に進んで思うことなどを書いてみることにしたい。
①未来が「現実」に変わる
博士課程に行くことに何のためらいもなかった。むしろ、ボクは修士課程で終えることの方に躊躇いがあったくらいだ。今の研究はとても面白い。乗り越えていける感じがする。それくらい思い入れのある研究を修士課程という時間軸でやめたくないと思った。
少なくとも、博士課程でするのは研究である。世界の誰も知らない知をーそれがどんなに小さなものであってもー開拓すること。それが博士課程では求められる。そういうふうに考えながら論文を読んでいる時、これならいけるだろう!という解決策が見えた時、研究というのは非常に面白く感じる。
まあ、そんなことを言っておきながら、未来というのは、刻一刻と近づいてくる。そう「就職」の問題である。もっと具体的にいうなら、博士課程を終えた翌日からどのように生きていくのか、という問題である。これが理由で博士課程の進学を諦めてしまう人もいると聞く。
②研究指導について
しかし、研究について考えると、それなりに「楽しい」と思えるのは、研究室に心理的な安全感があるからだろう。私の所属している研究室は以下のようなルールに則って、運営されている。
そう、学生の思うままに研究して、教員との面談は「お願いされたら」します、自分で進めてくださいね。ということだ。ちなみに、ボクは現在共同研究を2件抱えているが、指導教員には事後報告だった(それはそれで申し訳ないと思う時もあるが)。
正直、ここまで自由な研究室というのは、今まで複数のラボを経験してきてなかった感じがする。それなりに進捗管理とかがほしい人とか、自分自身を客観的に見つめられない人にとっては酷な研究室だと思う。
でも、よく考えてみると、博士課程に行ってまでやりたいことをしているので、今の決断は全て「自分で」決めたものだ。どんなことがあっても、やりきってみせる。
それに、博士課程は「自律的な研究者を育てる」場所なので自分で研究を進められない人は元々博士課程に向いていない。入っても途中で詰むだけだろう。正直なことを言うと、「論文読むなよ!」って言っても、勝手に読み出す人が博士課程の学生としてのふさわしい?姿ではないか。
③就職について
一般的に、文系博士というと、聞こえてくるのが「人生を棒に振った」とかそれはそれはネガティブな言葉だ。世間は、文系博士というと、やたら就職先どうするのか?とか聞いてくる。あの、すみません、博士院生がそれを考えていないとでも…??
ちなみに、言語教育・言語学・文学分野は「英語の先生になる」という道がある。最も代表的なのは、それだろう。もしも、大学院の時に予備校・塾で教えていて、評判が良ければ講師という道もある。
でも、博士課程の人なら、自分でプロジェクトを立ち上げて、遂行する力を持っているのだから、会社さえ見つかれば(あるいは大学さえ見つかればといえばいいのか)あとはプロジェクトを作ってしまう。そういう手もある。
ちなみに、ボクは今通っている大学のキャンパスが好きなので、そこに勤めたいと必死になって頑張っているつもりです。それについて書いた記事は以下から見れますので、ご参考までに。慶應SFCを英語研究の世界的中心としたいという夢について書いたものになります。
https://note.com/vocab_1213/n/na516100a030c
就職に関していえば「そこまで思い詰めなくても、なんとかなりそうと思えるか」というのは博士課程の院生にとって非常に大事なメンタルの一側面であると思う。
以前、ぼくがある大学院の授業を聴講したときのこと。そのときの先生はこう学生に言っていた。この言葉は非常に大事なことを簡潔に述べていると思います。
あと、こんな言葉も。
ボクもまだまだ論文が足りないけど、頑張って書いていきます。ボクは博士課程の早期修了(2年で終わる修了)を狙っているので、あと1年半ほどしか大学にいられないことを考えると、就職どうしよう?とか緊張することがあるけど、なぜか、その5分後には論文を読んでいます(何よりも研究が好きなのです)。
④最後に
色々ありますが、書き物っていいですよね。自分を内省できる気がして、こういうブログっていうのはいいと思います。論文もそれくらいのノリで?書けるようになりたいです。
この記事を読んで、いろんな思いが湧いてくると思います。「いや違うだろう」とか「最高の環境ですね!」とか。博士号をとって、研究者として生きていけるその日までボクも頑張ります。
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