【人間関係】あなたの常識は他人の非常識

はじめに
久しぶりの友達に近況報告でラインをした。相手とはこの3ヶ月間、関わっていなくて連絡する時もちょっと躊躇ってしまう自分がいた。しかし、そんな彼は、3ヶ月というブランクが何事もなかったかのように、ブランクがあっても、答えてくれた。そういう友達を大事にしたいと思う。

①人間関係の断捨離のはなし

友達は、ブランクがあった後の方がしっかりと関われる気がします。

僕にはブランクのない友達がいるが、それもそれで友達としてうまくいっているので、今は問題がないと思っています。さて、こんなことを書いたのには理由がある。実は僕は昨年、人間関係を断捨離しました。

自分を大切にしてくれない人、一緒にいてストレスの溜まる人は思い切って人間関係を断ち切りました。そして思った。人間関係はこちらから切らなくても良い。相手は勝手に離れていく。疎遠だった仲でも時間が経てば戻るなかだってあるかもしれない。そう思うと気が軽くなっていきますね。

人間社会は諸行無常です。こちらのコントロールではどうにもならないことがあります。そして、断捨離して悟ったのが「人間関係を自分から切るのはストレスがかかってしまう」ということです。

②人格否定という名の研究発表

これを聞くと、あることを思い出します。それは仕切りに「目の前の人間を大事にする小さなことができない人が多い」と言っていた院生(当時)のことです。当時、院生だったその人は仕切りにそういうことを当時学部生の僕らの前で言っていました。しかし、その人は僕が研究発表するや否や「あなたの人格ってその程度なのね」と言ってきて、発表自体ではなく、人格をも否定し始めました。

そうですか、研究発表、それも20分くらいで人格ってわかってしまうものなのですか。その時「目の前に人を大事にしないといけない」という言葉の意味は、少なくとも、その人に限っては「目の前にいない人は大事にしなくてもいい」という意味で使っているのかなと思います。以下、その直後に書いたFacebookの記事を転載します。

ボクはイライラしやすい性格なので、たまに、過去の変わりようのないことを思い出してイライラするんだけど、さすがに少し書いてみようと思う。まあ、ボクは発達障害持ちってこともあって、イライラが持続しやすいですねえ。以下、どんなことに対してイライラしてしまうか、書いてみる。

これは実際にあった出来事で、ボクが確か学部2年生の時にある人の前で発表したら、こう言われた。「あなたの人格ってこの程度なのね」と。そもそも、研究発表、それも20分くらいの発表で人格がわかるんですか。そしてね、それを否定できるだけの素晴らしい性格の持ち主だったんですかね。さすがにこの時は言わなかったけど、数々の学部生・院生を見て思ったのは研究発表と人格に相関性はないということ。

これはつまり、その人の研究の着眼点が悪かったりしても、その人の人格が悪いいうことにはならない。おそらく、上に書いた人は、ボクの研究の出来が悪いことに対して怒りたかったのだろう。でもね「やったことが全てですよ」。そんなつもりはない、なんていうのは言い訳にすぎない。あとね、研究の出来が悪いかラ怒るのは、さすがに研究指導の経験が不足してる。

もっというと、仮に相関性があったとして、人格的にわるいということが証明された。でも「だからと言って高撃していい」というのは話が別。いじめられる原因があるから、いじめていいと言っている、そんな因果関係も相関関係もないのと一緒ですよ。ちなみに、この件に関しては、もう5年前のことだけど、たまに思い出してイラッとくる。札幌に行って、だいぶイライラの強度は落ちたけど。

思い出しイライラほど、ナンセンスなものはない。そして、生産性のないものもない。流石に学部生が参考文献書いてこない時、面談をドタキャンした時とかイラッとくる人もいるかもしれないけど、大丈夫。あなたは何も悪くない。マナーを守らなれなかったからといって、何も大切なものを奪われていない。

それは違う。とか、指摘してくれる人がいるといいですね。指摘することもあるし、されることもある(ただし、こっちは年々減っている)。残念ながら、ボクは好きな人にしかやさしくないし、愛想笑いなんて浮かべられないです。でも、それを個性とみなしてくれる人に囲まれているので、これからも頑張れそうです。

FaceBookに当時書いた文章

これが、僕が当時、Facebookに書いた記事になる。研究から人格は見えることはあるかもしれない。しかし、それは少なからず「スキル」の問題かもしれないということであるのだ。研究発表で人格否定をするのは、ダメです。研究発表は研究発表であって、人格否定は別のところでしてくださいという感じですね。

③常識の前に、常識を口にしないこと

さて、この記事に通じるものとして、以下の記事を転載する。

https://note.com/vocab_1213/n/n3e29be6d2795

人はいちいち常識となっていることを口に出して言ったりしない。それに加えて、その常識というのは「あなたの感想」であることを忘れてはいけないと思う。あなたのバイアスが隠れているのである。あたかも本当のことのようにいう人ってどんな気持ちで言っているのでしょうね。

しかし、僕は人を本当に思いやれる(もちろんそういう人は、人を思いやりましょう、なんて口に滅多に出したりしない)人のことも知っています。素晴らしい人に巡り会えたことは嬉しいですね。実は、僕もこの件でイライラした。当時。でも、それ以上に、そういう、常識的なことを常々口に出す人は、それが常識になっていない人なのかなと思います。

そもそも「常識となっていることはいちいち口に出さない」というのも常識なのかもしれません。よってこれ以上は言いませんが、少なくとも「常識という『最大公約数』のようなことを言う人にはなりたくない」と強く思いますし、誰かにとっての感謝は誰かにとっての敵意であるのですね。

もう少し簡単に言うと「あなたが100点と思っていることでも、別の人から見れば0点の可能性がある」と言うこと。ならば、自分の自然体で生きていくのが良いのかなと思います。そんなに気張らないで、生きていきたいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました