①人間関係の断捨離のはなし
友達は、ブランクがあった後の方がしっかりと関われる気がします。
僕にはブランクのない友達がいるが、それもそれで友達としてうまくいっているので、今は問題がないと思っています。さて、こんなことを書いたのには理由がある。実は僕は昨年、人間関係を断捨離しました。
自分を大切にしてくれない人、一緒にいてストレスの溜まる人は思い切って人間関係を断ち切りました。そして思った。人間関係はこちらから切らなくても良い。相手は勝手に離れていく。疎遠だった仲でも時間が経てば戻るなかだってあるかもしれない。そう思うと気が軽くなっていきますね。
人間社会は諸行無常です。こちらのコントロールではどうにもならないことがあります。そして、断捨離して悟ったのが「人間関係を自分から切るのはストレスがかかってしまう」ということです。
②人格否定という名の研究発表
これを聞くと、あることを思い出します。それは仕切りに「目の前の人間を大事にする小さなことができない人が多い」と言っていた院生(当時)のことです。当時、院生だったその人は仕切りにそういうことを当時学部生の僕らの前で言っていました。しかし、その人は僕が研究発表するや否や「あなたの人格ってその程度なのね」と言ってきて、発表自体ではなく、人格をも否定し始めました。
そうですか、研究発表、それも20分くらいで人格ってわかってしまうものなのですか。その時「目の前に人を大事にしないといけない」という言葉の意味は、少なくとも、その人に限っては「目の前にいない人は大事にしなくてもいい」という意味で使っているのかなと思います。以下、その直後に書いたFacebookの記事を転載します。
これが、僕が当時、Facebookに書いた記事になる。研究から人格は見えることはあるかもしれない。しかし、それは少なからず「スキル」の問題かもしれないということであるのだ。研究発表で人格否定をするのは、ダメです。研究発表は研究発表であって、人格否定は別のところでしてくださいという感じですね。
③常識の前に、常識を口にしないこと
さて、この記事に通じるものとして、以下の記事を転載する。
https://note.com/vocab_1213/n/n3e29be6d2795
人はいちいち常識となっていることを口に出して言ったりしない。それに加えて、その常識というのは「あなたの感想」であることを忘れてはいけないと思う。あなたのバイアスが隠れているのである。あたかも本当のことのようにいう人ってどんな気持ちで言っているのでしょうね。
しかし、僕は人を本当に思いやれる(もちろんそういう人は、人を思いやりましょう、なんて口に滅多に出したりしない)人のことも知っています。素晴らしい人に巡り会えたことは嬉しいですね。実は、僕もこの件でイライラした。当時。でも、それ以上に、そういう、常識的なことを常々口に出す人は、それが常識になっていない人なのかなと思います。
そもそも「常識となっていることはいちいち口に出さない」というのも常識なのかもしれません。よってこれ以上は言いませんが、少なくとも「常識という『最大公約数』のようなことを言う人にはなりたくない」と強く思いますし、誰かにとっての感謝は誰かにとっての敵意であるのですね。
もう少し簡単に言うと「あなたが100点と思っていることでも、別の人から見れば0点の可能性がある」と言うこと。ならば、自分の自然体で生きていくのが良いのかなと思います。そんなに気張らないで、生きていきたいです。
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