ネガティブトークをやめてみたら

はじめに
今回は、雑談です。ネガティブなトークをしないということを友達に実行しているのですが、それがとても良いということ。果てに、自分の幸せを味わうというのはどういうことなのだろう?という「ネガティブ」と「幸せ」に着目して書きました。

はじめに

①博士課程という立場

立場上の理由にしたくないのだが、博士課程というのはネガティブな内容がとても多く飛び交う場所であるように思う。就職が、進路が、論文が、学会が、教員との関係が。数え出したら、キリがない。

幸い、僕は就職についてはある程度の目処はついているし(研究職以外の進路で)、論文についても、学会発表についても、順調だ。そういう仕事に関連していることは順調なことが多い。

②幸せを感じられない??

しかし、自分自身、そこまで幸せを感じられていない。なぜだろう。

そのことについて考えてみた。今は「幸福学」というのもあって、慶應だとシステムデザイン・マネジメント研究科の前野先生とかが中心になって研究を進めている。まあ、今日は研究の話をしない。幸福学の話はどこかでしたいと思うが、今日は自分語りになる。

③幸せって気づくものなの??

幸せというのは「気づくもの」である。いつか、僕が友達にこうラインしていたらしい。幸せは気づくものであるとするなら、今頃、僕は「好きなことで生きている」こと「人間関係で不満に感じていることが少ない」ということか。実は、あまり自分でも気付けていないのだ。幸せのありかに。

では、その「好きなことで生きている」ことと「人間関係で不満に感じていることが少ない」ということで「幸せを感じられている」というと、そんなことはない。もちろん、幸せを味わわなければいけないのだろう。幸い、多くの人が「好きなことで」かつ「人間関係の不満なしに」生きていくことが難しいということもー社会人の方と関わってー知った。

確かに、僕は研究・指導である程度の生活は足りるし、僕の月収は同期の社会人の月収より幾分高いだろう。少なくとも、20代の日本人の平均年収は余裕で超えている。それは恵まれている。教えることが、研究に生かされてそこで研究したことが、教えることに生かされている。

次。人間関係に不満が少ない。まあ、それに関しては、今、生涯関わっていくであろう友達が3人いるし、その3人とはこの5年間、ほぼ毎日のようにラインをしてきた。それは確かに幸せだし、そのせいか?結婚願望というのがない。むしろ、この友達関係で満足していて、これ以上何を求めるのだろうか?という感じがしている。

④ストレスを感じるものは感じる

まあ、確かに研究室の活動に協力していない人とか、過去に研究室の雰囲気を壊した院生がいて、そのことは忘れたくても、記憶の片隅にある。そういうことを思い出すと、嫌な気分になる。ちなみに、僕は研究室ではティーチング・アシスタントだから、そういうところは多めにみるということも必要なのかもしれない。

研究室の環境を壊したというのは言い過ぎでも、ある程度修復しなければいけなかったのは事実です。もちろん、全員が研究室の活動に加わらなければいけない研究室は窮屈だと思うけど。

⑤自分で書いていてきづいた

実は自分で書いていて気づいた。そこだろう。つまり、嫌なことを考えるようにしないということが、自分の幸せにとって必須になるのだ。楽しいことを考えている方が幸せならば、嫌なことを考えないようにしなければいい。

口でいうのは簡単だけど、それなりに難しい。ふとした瞬間に侵入思考でこんな嫌なことを考えてしまう。「嫌なこと」を「耐える」ことができない性格だから、でも、反芻するともっと嫌なことの記憶が強化されて、嫌な気分になる。それを幾分か繰り返していると、嫌な気分が常態化する。

さて、嫌なことを考えないのが自分が幸せになるための第一歩であると気づいた。幸せというのは「すること」ではなくて「しないこと」を選択することなのかもしれない。例えば、研究室の活動に協力的ではない人のことを考えない、とか。昔、研究室の環境を破壊した人のことは考えない、とか。

いずれ、笑って話せる日がくればいいと思う。しかし、書いてみたけど研究室関連の不満しかない。まあ、同じ研究室に今年で7年いることになるので多少の不満が起きてくるのは当たり前だと思う。7年いて、何も問題がありませんという方が珍しいというか。

⑥結局、僕にとっての幸せとは??

僕にとっての幸せは「ネガティブなことを意識的に考えない」ことであったのだ。それによって、だいぶ今の「ちょっと不幸な感じ」は解消されていくのではないか。ネガティブなことを考えている間に、おそらく上に書いた研究室関連の人がパフェでも食べていたら、僕はやりきれない

例えば、こうして書き物をしているときは、僕は満ち足りた気分になる。今度は英検1級の語彙リストを書くことにしているのだが、ワクワクする。もっと未来のことを考える。あと、英語の先生向けの本を書いてみたい。僕は語彙について研究しているので、語彙についての本を書いてみるのも良いだろう。幸い、今の時代は紙媒体で売れるし、なんならこのnoteに書く。

幸せを感じるとき

友達が未来のことを話していると、僕もワクワクする。過去のことを考えない、ネガティブなことを考えない。考えたら、未来のことを意識的に考えるようにする。それも、〜〜ではどうしよう、ではなく、〜〜するの〜〜を具体的に決めることだ。それこそが未来への準備になる。

⑦友達への実践ーネガティブトークをしないー

ちなみに、友達には今、ネガティブなことを話さないということを実行していまして、それを「飯島も変わったなあ」と思ってくれれば、嬉しい。変わるというのはーそれが良い意味であるならばーとても良いことであるように思う。自分も変わっていく。相手も変わるのと同様に。

今回は、いつもの認知言語学トークではなく、雑談になった。今、数本の論考を書いている(noteに掲載する用のもの)、問題集も指導教材も書いていて、そういうことを書いているときはワクワクする。ワクワクログというのをつけてみるのもいいな。書き物と教えることがワクワクするというところまでは自分でもわかっているのだけれど。

認知言語学のマガジンはこちらから。

https://note.com/vocab_1213/m/m95ca8fa5575d

最後に

何はともあれ、書き物をすることはとても好きです。今後とも、書き物と指導を頑張っていきたいし、楽しんでいきます。幸せというのは「何を選択するか」ではなく「何を選択しないか」というところにあるとわかった、金曜日の夜でした。

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