【第1章】ボクと呼べる人が世界でひとりだけのように
飛行機のアナウンスがまもなく空港に着陸することを告げた。 窓の下に目をやると、電車が 走っているのが小粒のように見える。⻑いフライトは雲の連続で、昼のフライトなのになん だか夜の暗闇を飛んでいるのとそこまで変わらない気分だった。僕は夜の静寂に包み込ま れたかのように眠っていた。
だから、飛行機から見える富士山とか、そういうものに心動かされるものを感じることもなく、ただ文字通り「乗っていた」のである。別にその景色を見 なかったからと言っても、法律違反になったり、ましてや罰せられることもあるまい。
そんなことを思っていると、飛行機はますます降下して、着陸した。幸か不幸か、年明けか夢に も思っていたー実際、彼は昨年の終わりから、本当に夢にその街にいる自分が見えた時があったー最果ての街に着いたのである。
自分の心の中で改めて言い聞かせた。「皆さま、ただいま、新千歳空港に着陸しました。駐機場に今から入ります。シートベルトはお締めになったまま、しばらくお待ちください」とキャビン・アテンダントの人が透き通る声で言った。そうだ、きてしまったのだ。ついに来たのだ。込み上げてくる思いに駆られた。
そうだよ、来たんだ。お疲れ様だったね。でも、君はここからいくらかの壁を乗り越えなくてはいけない。それは家を見つけることだったり。仕事を探すことだったり。でも、それは君にとって乗り終えられるものであると私は信じているよ。ヒバリと呼ばれる少女は言った。僕は頷く。やっとくることがで きた。やっとくることができた。ヒバリと呼ばれる少女は笑顔で頷いてくれた。でも、その 眼差しにはいくらかの諦めの様子を感じることがー少なくとも、僕にはーできた。
僕は、神奈川県の川﨑で生まれて、横浜で育った。そのような人種は、いわゆる「都会人」とか「都会っ子」とか呼ばれるのだろう。あまり覚えていないが、幼少期 の頃の思い出には必ず黑板が写っている。そして塾の先生(僕には尊敬できない先生も尊敬できる先生もいるが、そういう思い出に出てくるのは大抵後者である)もいる。
両親は共に高校の先生だった。父は公立高校で世界史を教えており、母がその公立高校の近くにある私 立高校で数学を教えていた。世界史と数学。共に学問の色が強く反映されている科目という こともあり、家は図書館のように本棚が山のようにあった。しかもそれらはきっちりと整頓 されていた。小学校の途中で新宿に引っ越した.それからというものの、塾と学校の往復となった。中学からは私立の中高一貫校に通った。成績は良かったが、スポーツは苦手であっ た。しかし、スポーツというのは大体において、大学入試の一部問にもならない。成績の良かった僕はそのまま東京の大学に進学した。
新千歳空港の到着ゲートを出ると、電車の電光掲示板が見えた。それは僕にとって無性にありがたいことだった。「14:32 快速エアポート 札幌」と書いてある。とりあえず、これで札幌まで行くことができる。電光掲示板お近くに広告が貼ってある。「快速エアポート 札幌 まで最速37分」。
なるほど、この電車に乗れば40分くらいで着くのか。僕にとってそれは意外なことだった。これまで、僕の中での北海道のイメージの中の1つに「駅と駅の間が遠い」というものがあったからだ。だから、たとえばある場所に行ったら、その駅に着いた時に必ず帰りの電車の時刻を確認しなければいけないと思っていた。しかし、ここはそんな必要がない。なぜなら、乗る予定の電車を逃しても、12分後に別の電車が来るからだ。それは僕にとって心の支えのようなものだ。次がわかるのはとても良いことであるように思う。
改札で切符を買って、電車に乗った。そこで僕はひどくびっくりした。電車が6両?だ けなの?「そうだよ、快速エアポートは6両なん だよ、というより、北海道では6両編成の電車は⻑い電車なんだ。もう短い10両編成なん ていう言葉を聞くこともないと思う。でも、君はそういう人生を受け入れたんだよ。これか らもそんなふうにびっくりすることの連続よ」。気づくと、ヒバリと呼ばれる少女が僕の後ろにいた。
僕は前を向く。電車に乗る。車内は暖房の効いた暖かい車両で、人はそこまでいない。座れる。いくら飛行機の中で雲ばかり映っていて、座っていても立っているよりはマシだ。電車の中で座れるだけでも感謝しないと。
やがて、電車が出発する。しばらくトンネルを走る。「まもなく南千歳、南千歳です」というア ナウンスが流れてきた。ここから苫小牧、追分方面にも電車が走っているのは、昔、どこかで 覚えた知識だ。苫小牧方面に行けばやがて函館に行ける。追分に行けば、帯広や釧路方面に行くことができる。そんなことを思っているうちに、トンネルを出た。
少しだけ遠くに飛行機が見える。乗っていた飛行機はあの星印の飛行機だった。電車は地上に出た。込み上げてくるものがあった。紛れもない、感動である。これから新しい人生を生きていく。僕と呼べる人はこの世で一人しかいない。これは僕の人生だ。ついにきた。着きました、北海道。
南千歳に電車が停まって、ドアが開いた。寒い風が車内に吹き込んできて慌てて身をすくめた。「あのね、君のいた東京は秋の入り口だったかもしれないけどね、この街はもう晩秋なのよ」。ヒバリと呼ばれる少女が耳元で囁いた。ハッとさせられた。
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電車はその後、千歳・恵庭・北広島に少しだけ停まった後、新札幌に停まった。新札幌に停車する前、緑ばかり見えていた風景から一変して、マンションとか道路とか、混んでいる電車とか『都会らしい』風景を見せるようになった。でも、僕はなんの違和感も覚えることがなかった。
そういう『都会らしい』風景には慣れている。むしろ、僕は緑ばかりの風景に戶惑いを感じていた。自分が独りになったような気がしてならなかった。
しかし、電車がいざ新札幌の近くについて都会の風景を映し出すと、ひどく安心した。それは一抹の心の休憩だったのかもしれない。あるいは、それはなんだかわからないけれど、何かが始まる予感だったの かもしれない。
だがそんなことは彼にとってはどうでも良いことだった。あくまでもそれは彼の中のほんの些細な一部でしかないのだ。新札幌を出た後、電車は加速する。もう一方(彼はその一方を「北の果て」と呼んでいた)から来た電車と並走する。そうこうしているうちに、電車のアナウンスが放送された。
「まもなく、札幌…」。
しかし、彼にとってそんなことはどうでも良かった。僕にはそういう声がもはやどうでも良くなっていた。平和駅、豊平川。僕は目に映った景色をただ焼き付けることで精一杯になっていた。ついに憧れの最果ての街に着いた。
彼にはそれが実感としてはっきりとわかった。初めての札幌。もう戻らない東京。そのような人生は彼にとって必然的のように思えた。しかし、もはや僕にとって二度と戻れない故郷に、戻る気はさらさらなかった。
僕はもう少しで「最果ての街の人」にな る。もっとも、まだ住⺠票も出していなければ、それ以前に、家も、仕事も見つかっていない。世間的には「不安しかない」状態だが、僕は何も思わなかった。むしろ、今の言葉に名前をつけるならば「どきどき」だろうか「ワクワク」だろうか。それとも「ときめき」なのかな。
でも、かつてないほど大きなことを僕はしようとしている。大丈夫、きっと大丈夫。頑張れ頑張れ。自分に言い聞かせる。やがて、電車が札幌へ入線した。「札幌に到着いたします、 お出口は左側です」。電車のドアが開く。三点チャイムが鳴る。「ご乗車ありがとうございま す、札幌です」。
君の瞳から初めての涙が溢れ出した。
それは今までの君が決して流したことのない涙だ。「この感動をもっと味わうといい。その気持ちはもう味わえないかもしれないし、何よりも大事なのは『来た』という事実なのよ」。そう、それを味わわないといけない。そして、何よりも味わっているのは今しかないのである。味わう。心と心の中がつながった。それは何よりも、何よりも、大事なことなんだと思う。
続く
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