今の研究が大変な理由を考察してみた

こんにちは。今、スタバにいます。これから学校へ行きます。毎日、学校の図書館で夜までこもって研究をしています。研究をすることは、楽しいことでもあり、大変です。そんな今日までの報告になります。

研究が大変な理由

最初「研究が楽しくない」と言ったときに、僕が自分で疑ったのは「ネタがなくなったかな」ということです。確かに、研究ネタに困る人もいます。しかし、自分自身はそこまで困った頃がなく、むしろ、湯水の如くネタが出てきていました。なので、その湯水が尽きたのかと悲しい気分になりました。

実際、今、自分の考えているのは「授業を公式化する」ということです。授業に関する教科書をつくりたいということです。それも、経験だけに頼らない、汎用性の高い内容であることが条件です。例えば、テストをどのように設計する?とか、授業内に前後のどちらで宿題の確認テストをすれば良いのだろうか?という話などです。

そういう小さなこと?は、アカデミアというコンテキストではあまり大事にされていませんがよくよく考えてみると、大事なことです。ちょっと話がそれますが、ある外国人の先生が僕に向かって次のように言ったことを思いだしました。「ヒサノリ、授業の後に振り返りのテストを入れるだけでも授業の出来は向上するよ」と。それくらいテストの点数に人は左右されるものだし、テストがいかに井奥を定着させるかということを物語っています。

さて、話を戻しましょう。実は、英語授業学というのがありなす。英語の授業について研究をする学問です。いやいや、授業なんて研究するものではない、実践してこその授業である、確かに僕もそう思います。しかし、現場に役にたつ(と言ったら言い方が失礼でしょうか)、授業実践を理論化することは必要であると考えます。必要なのですよ、やはり。授業に関する本を作るのは大事です。

できれば、なぜ、どんな理屈でどのような授業を行なって、どんな効果が出るのかということをかなり広範囲で、具体例付きで解説した方がいいと思っています。そうなると、応用認知言語学、すなわち、認知言語学の知見を応用して、それを授業内容に反映するという壮大な研究テーマが完成します。

つまり、現場に応用可能な言語理論を考える必要がある、ということになります。今の研究が楽しめないのは、教育に応用するという視点が欠けた世離れした研究をしているから、ということができるでしょう。言語原書を追求できるなら話は別ですが、そういうことはあまり良くないと思います。少なくとも、研究者の自己満足になる可能性が高いからです。

授業について、論文を1本くらい書いてみるのもありでしょう。試しに「認知言語学と英語教育」というタイトルで書いてみるのもありでしょう。世の中は認知系の研究を求めていますし、自分もそのような研究をしていきたいです。実は、僕は将来的に「英語授業学、英語教材論」を専門にしていきたいと思っています。正直、それなら、一生研究者になって研究を楽しめるのではないか、という予感がします。理論的な言語学を勉強することは確かに、英語教育に対しての新しい気づきを与えてくれます。

しかし、僕はその気づきをもとに新しい授業に知見を生みだしたいと思っています。今の認知言語学は、どちらかというと「言語現象の解明」であって、やはり社会の役にたつような研究をしたいです。つまり、今の研究を楽しむ以前に、分野の変更が必要で、自分が誰のために研究をしているのか明確に意識した方がいい、ということになります。授業学というのは素晴らしいです。なんでも、学問になることが証明されてきた感じがします。

学問というのは、そういうものです。その学問を追求することができれば世の中はもっと楽しいものになると思います。

研究協力者

実は、来年から(採択されれば)僕はある科研費の研究協力者として、研究に従事することになります。これを機に、ブレイクすると良いですね。実のところ、自然言語処理の世界では、学生が学会のセッションを組むことが少なくないです。でも、英語教育はそんな風潮はありません。ないです。

もっと若手がセッションを組んでいいのだとお思いますね。僕は自らの粘り強さで、どの世界に行っても成功するでしょう。でも、できれば、仕事場に個室があると良いですね。

あと、現場の授業に貢献できるような研究をしたいと思います。つまり、僕の書く論文は研究者が読むのは当たり前で、現場の先生も読みたくなるという論文にすべきなのです。なんか、ワクワクしてきますね。僕ならできそうな予感がしてきました。それは素晴らしいことだと思います。実際に授業に従事する先生がヒントを得るために論文を読む。かっこいい!素晴らしいです!

というか、現時点でも、現場の先生から授業の相談が来ることもあるのですが。しかも、相談をもらうときなんて嬉しいですよ。だって、僕のメアドを探して、わざわざ連絡をくれる先生ですからね。目下、論文を3本書いています。その3本が大ヒットすることを祈念します。僕は、もっと大きな位置に行けると思っています。そういう向上心があるから、頑張れます。僕はまだまだです。

最後に

というわけで今日はここまで書いてきました。時折、こういうエッセイは書いていきたいと思います。自分自身が、自分の書いた文章で元気になれるのは素晴らしいと思います。

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