春が来ましたね。
と言っても、札幌はまだ冬景色ですけど。
先日は、定山渓温泉に行ってきました。
札幌から市営バスで1時間半。
今回は「優しさ」について考えるきっかけになりました。
以下、それについて書いていこうと思います。
①仕事だから「情」が不要だと思っていた
数年前?まで、ボクは「仕事に情は不要」と言っていました。
仕事において、堕ちた人を助ける必要はないという意味です。
例えば、体調不良で今にも倒れそうな人に「体調管理も実力のうちですからね!」と数年前までは平気で言っていました。しかし、仕事を通して何でもかんでもいうのは、良くないと感じるようになったのですね。
②0点の仕事、100点の仕事
ボクは仕事には超真剣です。おそらく、誰よりも真剣に取り組んでいるという自負があります。でも、どうしたって、間違いはあるわけで。仕事を仮にやっていないなら、失敗もないわけです。
よって、仕事において、進んでいる限り「0点の仕事」なんてないのです。
0点の仕事もない。逆に、成果物として100点の仕事はあるかもしれないけれど、別の誰かからすればその成果物は10点かもしれません。
つまり、0点の仕事もなければ、100点の仕事もない。
あくまでも、ボクはそのように認識しています。
もちろん、業種によっては異なるかもしれません。特に、教育業界のように白黒はっきりついてしまうような業界では、生徒さんが志望校に落ちたら先生の仕事としては0点というレッテルがつきますし、次年度の給与にも影響するでしょう。
でも、その時に「君は0点だ!」と言いつけるよりも「どうしたらよかっただろうか?」と言えるような人の方がー双方にとってー生産的で良いと思います。
仕事というのは、実績のないところからスタートして、実績を積み上げてを繰り返すものです、でも、最後は人間関係です。
これは今後のプライベートの関係にも言えるかもしれません。
仕事で辛い友達に「お前の仕事力は0点だね」とは口が裂けてもいえないです(ですが、 事実、言ったことがあるのはここだけの話です)。
過去に理不尽な目に遭ったこともありますし、その理不尽なことは意外にも覚えています。時が忘れさせてくれた怒りもありますが、今、こうして札幌でそれなりに楽しく暮らせているのは、ボクとかかってくれている人のおかげです。
③とはいえ、人間だから選り好みしたくなる
とはいえ、優しさを出したくなる人はまだまだ限られている。
もう少しフェアな気持ちで関われるようになりたいです。
優しくしたいか否か、それはフィーリングで決まったりもします。
なんだろう、優しさを配りたくなるような人って、そういうオーラを放っているというか。優しくしたい、育てたいと思うような人と一緒に仕事をしたいなと思います。
④最後に
まあ、複雑な気持ちで帰ってきてしまいました。
仕事っていろんな考えがあると思います。お金を稼ぐ手段として見ている人もいるかもしれませんが、社会貢献として見ている人もいる。
もっといろんな見方があるでしょう。
少なくとも、その中でも、人を生かせる人でありたいと思ったのは、今回の旅行の収穫でした。
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